でんぱ組.incの歴史は飲食店から始まった!地上波レギュラーも獲得していた!?
唯一無二のアイドルグループとして名を馳せている「でんぱ組.inc」。
彼女たちのこれまでの道のりは本当に苦労の連続でした。
そして「不器用」で「亜流」だったからこそ独自の進化を遂げたといっても過言ではない。
でんぱ組.incがいかにして現在の地位を確立したかの歴史を紐解きます。
でんぱ組.incの歴史は秋葉原の飲食店から始まった!
でんぱ組.incは2007年12月、プロデューサーの福嶋麻衣子こともふくちゃんが秋葉原にライブ&バー「ディアステージ」をオープンしたことから始まります。
元々、プロダクションを作ってアイドルのプロデュースをしたいという思いがあったことから飲食店の傍らでアイドルグループを結成することを計画。
しかし、事はそううまくは行きませんでした。
ディアステージの店員が皆、アイドルに憧れていなかった為。
秋葉原という街でもディアステージ店内でも、少女たちの崇拝する対象は3次元(アイドル)でなく2次元(アニメ)だったからです。
でんぱ組.incは古川未鈴空中浮遊のために結成された。
しかしディアステージでただ一人、アイドルを夢見る女の子がいました。
古川未鈴はかつてAKB48やSKE48のオーディションも受けたが落選したアイドルを夢見てディアステージに入店。
その古川未鈴の要望もあり、もふくちゃんはアイドルのプロジェクトをスタートさせます。
しかしここでも難航します。
もふくちゃん曰く「みりんちゃんとくっつけるべき子が、店内を見渡しても1人もいなかった」とのこと。
それでも当時、店員だった小和田あかりと2人ででんぱ組.incの前身「でんぱ組」を2008年に結成します。
2009年6月に後の相沢梨紗こと西村めめと夢眠ねむが加入しでんぱ組.incに改名。
それでもえいたそ(現:成瀬瑛美)と跡部みぅが加入し7月に小和田あかりは脱退します。
ここで第1期でんぱ組.incの誕生となります。
アイドル絶世期に不遇の時代を過ごす!
でんぱ組.incは2010年から「「Kiss+kissでおわらない」などシングルをリリース。
でんぱ組.incが世間に認知されることはありませんでした。
それというのも古川未鈴以外は特にアイドルに大きな思い入れがなく「相沢梨紗ちゃんは90年代の声優さん、えいたそ(成瀬瑛美)は90年代のアニメにしか興味がなかった。夢眠ねむちゃんは完全メイド宣言の熱心なオタク」ともふくちゃんは当時を回願。
アイドルグループとして完全に「亜流」であったと語っています。
現在でこそ、でんぱ組.incは「オタクのアイドル集団」として根付いていますがそれは後付け。
2011年に放送された千原ジュニア司会の「ナダールの穴」」に出演した際に「どういう特徴のグループなんですか? ウリはなんですか?」という質問に困ったもふくちゃんがとっさに「でんぱ組.incはオタクのアイドルです。しかも5人が5人とも別ジャンルのオタクなんです。」と説明します。
これがテレビ的に分かりやすくヒット。
それ以来、オタクアイドルというカテゴリで少しずつファンを獲得していきます。
大きな変化をもたらせた2013年 ZeppToKYoライブ
2011年12月に跡部みぅが就職のために卒業し最上もがと藤咲彩音(ピンキー)が加入。
この6人でようやく固定メンバ―となり活動が本格的になっていきます。
ヒャダインこと前山田健一楽曲や古川未鈴の要望でダンス振付にYumikoを起用するなどアイドルとしても成長。
そして大きな飛躍の瞬間を迎えたのです。
すべてをさらけ出したでんぱ組.incが大きな共感を得る!
でんぱ組.incの運命を一変させるシングルが2013年1月にリリースされます。
タイトルは「W.W.D」。
歌詞はすべてメンバーの実話から構成され前山田健一が作詞・作曲を手がけました。
「いじめられ 部屋にひきこもっていた」「生きる場所なんてどこにもなかった」とメンバーの過去を浮き彫りとする歌詞にレコーディングの際に泣き出すメンバーもいたほど。
この曲を生で初披露した2013年1月20日のZeppTokyoでのライブは今も伝説として残っています。
メンバ―のこれまでの辛いかった過去や両親への感謝といった独白が1人ずつされるとノイジーな音と共に「W.W.D」が。
観客も多くは秋葉原を愛するオタクたちで、歌詞の中に自分の過去も投影した人も多かったと思います。
その結果、叫びにも似た歓声と異常に振り回されるサイリウムは、はたから見たら変人の集団。
しかしステージに立つメンバ―も泣きながら応援するファンもみんな夢中でそうせずにはいられない空間でした。
後にもふくちゃんは「あの曲でやりたかったことって本当は『会員番号の唄』(おニャン子クラブ)だったんですよ。」と後述。
しかしさえないエピソードしか出てこない為、前山田健一が作った曲は当初の思惑と違っていました。
その結果、多くのリスナーの心に響く名曲が誕生。
「マイナスからのスタート」というでんぱ組.incの方向性を決めた名曲となりました。
最上もががグラビアで大人気に!
さらに同年に最上もがが「ヤングジャンプ」で完投グラビアを飾ると一般層からも注目が。
生誕な顔立ちとスタイルの良さ。さらに金髪で元引きこもりというパーソナルも相まって単独で巻頭グラビアを多く飾ることとなります。
最上もがの人気は高くなり、単独写真集も発売し最上もがからでんぱ組.incを知る人も。
結果としてでんぱ組.incは少しずつ全国区となっていきました。
地上波レギュラーも決まり大躍進した2014年!
2014年になると単独の日本武道館公演を5月に開催し大盛況。
そして10月にはフジテレビで「でんぱジャック-World Wide Akihabara-」が放送開始されます。
この当時、日経エンタテインメントが「2014年にブレイクした2組のアイドルとして、でんぱ組.incとBABYMETALが挙げられる」と記述。
アイドルにおける音楽性は「何でもあり」が主流の中で、あえてジャンルを絞ることでアイドル性とアーティスト性とを両立したとでんぱ組.incのブレイクを評価していました。
最上もがの脱退!夢眠ねむの卒業!でんぱ組.incの転換期
でんぱ組.incは日本武道館公演を果たすとワールドツアーと題打って、海外の日本イベントに多く出演。
日本カルチャーを代表するアイドルとして世界的に評価が高くなります。
しかし、その一方で大きな問題も。
2017年1月の日本武道館を最後にその年のライブは未定となり個々の活動が多くなったのです。
2017年に最上もがが脱退!しかし新たなメンバーが加わる!
そしてかねてより休業を繰り返していた最上もがが2017年8月6日に自身のブログででんぱ組.incの脱退を表明。
台風が日本に直撃してくる日に大きな嵐がやってきました。
最上もがは後に「精神的にもう無理ってなった。後でうつ病にかかっていたということが分かった」と語っており多忙による限界だった模様。
ブレイクのきっかけだった最上もがを失い、しばらくは活動が思うようにいかなかったでんぱ組.incですが、同年9月28日にロシア・モスクワのガレージ現代美術館でのイベントでシークレットゲストとして5人で登場します。
そして2017年12月30日にに大阪城ホールで復活ライブを開催。
登場から異様な盛り上がりを見せていましたが、「 Dear☆Stageへようこそ」の曲中にベボガ!(虹のコンキスタドール黄組)の鹿目凛と虹のコンキスタドールの根本凪がサプライズ登場しそのまま新メンバーとなることが発表されます。
7人体制としてでんぱ組.incは生まれ変わったのでした。
2019年1月に夢眠ねむが卒業!新たなステージに!
7人体制となり2018年を迎えたでんぱ組.incでしたが、ここでもメンバーの卒業が。
初期からでんぱ組.incを支えてきた夢眠ねむが2019年1月の日本武道館公演で卒業することになったのです。
当時、沖縄で開催されたライブで卒業発表があった際には夢眠ファンが会場から動けなくなって介抱されている様子も目撃されるほどショックでした。
夢眠ねむの卒業はアイドルとしてとても綺麗で誰も不幸にしない潔いもの。
卒業公演で嬉しかったのは最上もがから花が来ていたことともう二度と聞けないと思われた「W.W.Dベスト」が聞けたこと。
そして6人体制となったでんぱ組.incはさらに進化。
歌唱に磨きをかけ、アンコール無しの直球ライブをやったり、結婚した古川未鈴を空中浮遊させたりともう一度挑戦する姿勢を示しています。
これはひとえに、少しプロデュースをはなれていたもふくちゃんが再びプロデュースに戻ったことも所以。
さらに進化し続けるでんぱ組.incが今後も楽しみです。
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